現在の大砂土中学校(正門)
大砂土の由来 |
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明治二十一年、市制町村制が公布、それにともない明治二十二年に大和田・砂・土呂・今羽・西本郷・堀崎・島の七村が合併して誕生したのが「大砂土村」です。 初代村長・川島啓之助氏、合併当時の人口は3,224人でした。 村名は大和田の大、砂の砂、土呂の土を組み合わせたものです。 |
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黄色い部分が我々過ごした時です。中学校の創立から現在まで 資料(創立五十周年記念誌おおさと)より
昭和22・04・01 | 大宮市立第五中学校として開校する |
24・04・01 | 大宮市立大砂土中学校として独立開校する |
24・05・01 | 開校記念祝賀式挙行 |
25・02・10 | 校地を大宮市大字大和田保浄二一七七番地に決定、同日新校舎起工式を挙行 |
25・04・19 | 校舎上棟式挙行 |
25・07・22 | 校舎落成式挙行(普通教室 8、特別教室 2) |
26・06・18 | 埼玉県教育委員会より放送教育実験学校として指定される |
27・02・15 | 放送教育研究発表を実施 |
29・04・01 | 学区変更(土呂、本郷、今羽地区は植竹中学区となる) |
30・11 | 体育用具小屋設置 |
32・03・15 | 校旗制定、推載式挙行 |
32・05・10 | 本校開校記念日を5月10日と制定する |
36・03・11 |
校舎落成10周年式典挙行 校歌制定(作詞 大木 実 作曲 川崎 祥悦) |
36・05・31 | 県教委より昭和36年度の保健体育研究校として委嘱される |
36・06 | 埼玉県立教育研究所より昭和36年度の道徳教育に関する調査協力校として委嘱される |
36・10・26 | 全国中学校一斉学力調査実施(文部省第一回) |
37・01・26 | 女子生徒の標準服を制定する |
37・04 | 同窓会メンバー入学 |
37・05・01 | 大宮市教育委員会より昭和37年度の体育の研究を委嘱される |
37・07・11 | 全国中学校一斉学力調査実施(文部省第二回) |
37・12・22 | 校地として274坪拡張される |
38・04・15 | 第一期増築二階校舎四教室完成(西半分) |
38・05・20 | 県立教育研究所より昭和38年度の道徳教育研究協力校として委嘱される |
38・06・26 | 全国中学校一斉学力調査実施(文部省第三回) |
38・11・01 | 市内中学校、ミルク給食一斉開始 |
38・11・19 | 県立教育研究所委嘱による道徳の実験授業実施 |
38・12・25 | 第二期増築二階校舎四教室完成(東半分) |
39・01・08 | 市内中学校三年生、第一回一斉学力テスト実施 |
39・04・01 | 本校生徒心得制定 |
39・05・16 | 市教委より昭和39年度の道徳の研究を委嘱される |
39・06・23 | 全国中学校一斉学力調査実施(文部省第四回) |
39・11・24 | 市教委委嘱による道徳教育の研究の中間発表を実施する |
40・03 | 同窓会メンバー卒業 |
40・06 | 県立教育研究所より英語教育の研究協力校として委嘱される |
40・06・16 | 全国中学校一斉学力調査実施(文部省第五回) |
40・12・13 | 市教委委嘱による道徳の研究発表を実施する |
41・02・23 | 大宮市職業指導主事会委嘱による本校進路指導の実践研究を発表する |
41・06・24 | 全国中学校一斉学力調査実施(文部省第六回) |
42・04・01 |
教科書が無償給付となる 市内中学校の生徒用の机・椅子を、むこう3年間のうちに一人用とする予定で 昭和42年度は、三年生のみ配給される |
42・10・21 | 国体旗搬送に参加(第22回国民体育大会が11月に埼玉にて開催) |
43・04・01 | 生徒心得・生徒会会則を改訂する |
43・07・12 | 下水排水路工事完了 |
43・10 |
校内環境の整備 ・校庭東側ブロック積み金網垣根の設置 ・同所植樹 ・中庭園工事 ・校地内の自転車通路ならびに芝生囲いブロック積み工事 |
44・03・25 | 創立20周年記念行事実施 |
44・05・10 | 市教委より家庭教育学級の委嘱をうける |
44・11・29 | 中校舎、北校舎間に丸池・庭園工事完了 |
44・12・03 | 技術・家庭教室一棟完成(274.6u) |
44・12・18 | 校庭整地、中央通路整備、フェンス設置 |
45・12・28 | 校門より西側垣根フェンス設置 |
46・11・17 | 市教委委嘱による保健安全研究の発表会を実施する |
47・03・22 | 体育館完成(896.52u) |
47・04・06 | 鉄筋四階建校舎の特別室完成(1408.1u) |
47・05・27 | 体育館落成式実施 |
47・06・15 | 体育館完成記念植樹 |
47・11・01 | 屋外卓球台二基設置 |
48・02・28 | 校地北側金網フェンス一部設置 |
48・07・08 | 新館裏に生徒用の自転車置場設置 |
48・11・20 | 校庭物置(14坪)設置 |
49・01・31 | 鉄筋四階建校舎増築十二教室完成(B校舎完成) |
49・08・18 | 体育館南側校庭内の生徒通路工事完了 |
49・09・03 | 校地西側土どめ工事ならびにフェンス設置 |
49・12・21 | 校庭東側防球ネット設置 |
50・02・21 | 市教委委嘱による体育研究発表を実施する |
50・12・03 | 正門改築 |
50・12・23 | 部室(14坪)設置 |
51・03・23 | 青色電話(公衆)設置 |
51・04・05 | 職員室拡張(旧宿直室分) |
51・09・01 | 校門前バリアー設置 |
51・09・07 | サッカーゴール西側5mフェンス設置 |
52・02・24 | 放送室、印刷室増築 |
52・11・05 | 野球場南防球ネット設置 |
52・12・02 | プール完成 |
53・04・01 |
泰平中学校新設、本校より分離(111名) |
53・10・05 |
創立三十周年記念式典挙行 鉄筋校舎前芝生園工事完了 |
55・09・01 | 校庭散水工事開始、完成10月五日 |
55・11・15 | 体育館への渡り囲い工事開始、完成11月26日 |
56・07・02 | 校舎増改築に伴うプレハブ校舎工事完了 |
56・09・17 | 新校舎第一期工事開始 |
57・03・31 | 新校舎第一期工事(鉄筋二階建校舎管理室、教室)1957.95u完成 |
57・07・09 | 木造校舎(平屋建)解体 |
57・09・24 | 新校舎第二期工事開始 |
58・03・15 | 防球ネット(正門より玄関に至る)設置 |
58・03・31 | 新校舎二期工事(普通教室11、特別教室4)2582.34u完成(A校舎完成) |
58・04・20 | プレハブ校舎解体 |
58・05・06 | 市教委より同和教育推進校として指定される |
58・08・31 | 校庭ダスト舗装工事完了 |
58・10・11 | 新校舎増築工事竣工記念祝賀会を挙行(見沼グリーンセンター) |
60・03・31 | 配膳室完成 |
60・05・14 | 市教委より生徒指導研究校として委嘱される |
60・05・17 | 市教委より青少年健全育成モデル地区の研究委嘱をうける |
60・08・13 | テニスコート西側防球ネット設置 |
61・04・14 | 完全給食開始 |
61・10・14 | 校庭東側の桜等の伐木、移植開始 |
61・12・05 | 校庭東側ネットフェンス移動工事完了 |
62・02・20 | 青少年非行防止モデル地区活動報告会を開催(桜木・植水地区との共同開催) |
63・03・04 | 校庭南側、体育館東側に桜等を植樹 |
63・03・10 | 野球バックネット、防球ネット改修 |
63・10・09 | 校歌碑建立 |
63・11・25 | 創立40周年記念式典挙行 |
平成01・03・16 | B校舎配膳空調(冷房)工事完了 |
02・01・11 | B校舎屋上前面改修工事開始 |
02・01・13 | 校舎東、南側防球ネット工事開始 |
02・02・07 | 木造校舎(2階建)解体 |
02・10・02 | 校庭南側体育小屋消失 |
02・10・27 | B校舎西昇降口改修完了 |
03・03・11 | 重層体育館完成 |
03・04・01 |
八幡中学校新設、本校より分離(164名)、ちなみに我が息子はこちらにお世話になってました。 |
03・05・23 | 重層体育館落成記念式典挙行 |
03・08・21 | A校舎昇降口床張替え改修完了 |
03・09・28 | B校舎南自転車置場全壊(台風の為) |
04・04・10 | コンピュータ教室内装工事完了 |
04・07・17 | 市教委より情報処理教育の研究協力校として委嘱される |
04・11・15 | 自転車置場設置 |
05・01・25 | 旧体育館解体 |
06・03・28 | テニスコート(2面)完成 |
08・01・01 | 地番変更により、学校所在地が(大宮市東大宮1−100−1)となる |
08・02・20 | 国旗掲揚塔設置 |
08・04・01 |
土呂中学校新設、本校より分離(142名) |
08・06・01 | さわやか相談員配置 |
09・03・05 | さわやか相談室内装工事完了 |
09・03・27 | B校舎一階廊下床張替え改修完了 |
09・04・01 |
市教委より平成九年度および十年度の学習指導の改善について研究委嘱をうける 埼玉県社会福祉協議会より埼玉県ボランティア推進校に指定される |
09・08・21 |
B校舎2・3・4階廊下床張替え改修完了 職員室・事務室室内前面塗装完了 |
09・11・05 | B校舎への渡り廊下照明設置 |
09・11・29 | 大砂土中学校創立五十周年記念事業準備委員会発足 |
10・07・07 |
B校舎二階美術室床張替え改修完了 |
11・12・07 | 「同和教育」研究発表 |
13・02・27 | 文部科学省より「次世代ITを活用した未来型教育研究開発事業」 実施校の指定を受ける |
13・05・01 |
大宮・浦和・与野の三市合弁に伴い校名を 「さいたま市立大砂土中学校」と改称 |
14・04・01 |
林 千鶴子 第18代校長に補せられる |
14・11・28 |
市教委委嘱「開かれた学校づくり」紙上研究発表 |
15・04・01 |
区制施行により、校地住所さいたま市見沼区東大宮1−100−1となる |
15・05・09 |
市教委より教育課程研究委嘱校として指定される |
16・03・03 |
給食室完成 |
16・09・21 |
B校舎西側ベランダ手摺改修工事完成 |
18・04・01 |
久野 和夫 第19代校長に補せられる |
21・04・01 | 篠原 邦雄 第20代校長に補せられる |
21・04・01 | B校舎トイレ改修工事完成 |
23・04・01 | 矢内 洋 第21代校長に補せられる |
23・09・30 | 西校舎(技術室・美術室)耐震補強工事完成 |
23・10・18 | 市教委委嘱「進路指導・キャリア教育」研究発表 |
24・03・12 | 防災簡易トイレ設置工事完成 |
25・04・01 | 竹居 秀子 第22代校長に補せられる |
26・01・10 | 校庭スプリンクラー設置 |
26・02・26 | 市教委委嘱「一人ひとりの教育的ニーズを踏まえた特別支援教育の研究」研究本発表 |
26・03・31 | 太陽光発電設備設置 |
現在 | 大砂土中学校のホームページ→ここ |
以上平成26年までのあゆみです。それ以降の情報をお待ちしています。
大宮にまつわる歌には蛍が多く唄われてきました。 大宮おどり・大宮まつり・大宮小唄・盛街時大宮・埼玉唱歌・片柳村唱歌・大砂土唱歌などです。 昔は沢山の蛍が見沼の地にいました。地元の方々の中には、見沼の蛍合戦=実は一団となっての 蛍の生殖行為だという=を見たことがあると言う人もいます。 蛍にまつわる話もいろいろ生まれましたがその中の「蛍の宮」の伝説を紹介します。 |
==蛍の宮の伝説==
今から二百二十年程昔のことである。見沼に笛の上手な娘が住んでいた。名前を小笛といった。ある夏の日暮れ時、小笛が笛を吹きながら沼の辺を歩いていると、前の方から同じような笛の音が流れてくるのに気がついた。笛の主を探しているうちに、小笛は古井戸を見つけた。笛の音はそかから出てくるらしい。中を覗いた小笛は息を呑んだ。無数のホタルが乱れ飛んでいた。一匹の大きなホタルが飛び出ると、まるで小笛を招き寄せるようにそこを離れ始めた。魅せられたように小笛がついていくと、大きな館の前に来た。こわごわ覗くと女が出て来て、小笛の手を取って案内しだした。奥座敷には美しい姫が座っていた。小笛を招き寄せると姫は物静かに言った。 「私は、あなたにお願いがあってお招きしたのです。村に帰ったら、私どもの供養をして頂きたい。」 いぶかしげな顔をしている小笛に姫は続けた。 「昔、ここに城がありましたが、戦いに負けて男達は討ち死にしました。私達女は沼に身を投げて死にました。ところが沼の竜神が私どもを哀れに思ってホタルにしてくれました。私は生前、笛を良く吹いたのですが、笛を吹けるのはお尻が光る前のほんの暫くの間なのです。」 小笛は先ほど聞いた笛の音は、この姫が吹いたものと悟った。小笛は帰る時、姫達の供養をすることを約束した。大和田という所に女達の供養塔が建てられたといい伝えられているがその場所はよく分かっていない。
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